高畠のギルマス記

ギルドハウス高畠、ギルドマスターのブログです。

新規就農と移住を考える2-1

新規就農と移住を考える2-1

前回の記事読んでくれた方もすっかり忘れてしまったと思いますが、今月も農林大学校で新規就農者向けの研修に参加させていただきました。

という事で新規就農者向けの研修を通じて農業と移住を考える記事第2弾です!

バックナンバー

新規就農と移住を考える1-1

https://masterhato.hatenablog.com/entry/2019/05/14/165747

新規就農と移住を考える1-2

https://masterhato.hatenablog.com/entry/2019/05/16/145906

 

新規就農者支援研修(第2回)スケジュール

6月5日(水)10:40~16:20

1-1、病害虫概論②                        酒田市農業技術普及課 90分

1-2、新規就農者向け支援制度      山形県農業経営・担い手支援課 90分

1-3、農地制度について                   山形県農業経営・担い手支援課 90分

 

6月6日(木)9:00~14:40

2-1、植物の生育環境①                   山形大学農学部 90分

2-2、土壌肥料①                              山形大学農学部 90分

2-3、専攻別講義(果樹)                農林大学校講師    90分

 

こんなスケジュールでした。今回は1日目の内容について書いていきます。

ここからしばらくは各講義内容について抜粋して掲載していきます。ただただ学んだ内容を羅列しているだけなので流し見してください。

 

~ここから講義のまとめ~

1-1、病害虫概論②

 前回は病害虫が作物へ及ぼす影響やその分類や病害虫から作物を守るための「総合防除」などについてお話いただきました。今回は農業と人類史から農薬の歴史をたどる講座でした。

耕地生態系について

作物に害をなす雑草や昆虫は人為的に排除されるため耕地生態系にはそれを構成する生物種が少なく、生物多様性に乏しい。しかし生物多様性の低下は耕地生態系の避けられない特性ではあるが病害虫の発生など生態系の安定性を低くする要因でもある。 生物多様性についての考え方について昨今は国際条約でも締結されており、近年では有機農業や持続可能な農業といった動きも大きくなっている。一方で農薬を使わなかったらどうなっていたであろうかという事について考えたとき、昔の農業は無農薬有機栽培であり、病害虫等が大量に発生した時は不作に見舞われた場合嬰児を間引いたり、姥捨て山の話等が語り継ぐように全国で人口調整したりして飢えをしのんできた悲しい話は全国各地にある。農薬は、耕地生態系を何とか維持する手段であるともいえる。

日本の農薬の歴史

農薬の歴史を考えると江戸時代の頃までの防除は村を挙げて太鼓を叩きみんなで稲につく虫を取って回っていたようで、それからは水田の表面に鯨の油をまき、稲につく虫を落とすことで防虫する取り組みが行われていたようだ。それから戦前までは天然由来の油や殺菌剤が使われていたが、雑草は手による除草が中心だったそうだ。戦後は化学合成農薬が登場し、防除もさることながら、除草時間にかかる時間は1949~1999年の間で25分の1までになったとされている。しかしながら当時の農薬は玉石混交で人体への毒性や作物残留性が高いものも多く昭和40年代には社会問題へと発展していく。昭和46年には国も農薬取締法を改正し農薬の販売禁止や制限がなされていった。この頃の農薬の開発方向は人に対する毒性が弱く、残留性の低いものへと移行しているようだ。

農薬とは

農薬とひとえにくくっても様々な分類と用途がある。

殺虫剤、殺菌剤、殺虫殺菌剤、除草剤、殺鼠剤、植物成長調整剤、誘引剤、展着剤、天敵、微生物剤(BT剤)等

化学合成したものもあれば動植物の生態を利用したものがあるが、殺虫、殺菌、除草剤として使われる農薬が全体の80%を占める。

日本では限られた土地での集約性を高める事や綺麗な作物へ需要や国民性からか農薬の研究開発が盛んで、農薬大国といわれる側面もある。新たな農薬の開発には約10年の歳月と数十億に上る経費が必要とすると言われている。

農薬の使用についてのルール整備や人体への毒性については多くの研究がされた上で世に出ているが、歴史の浅い新しい製品や技術への不安というのはついて回るし、ヒューマンエラーで適正な濃度を間違うかもしれない、社会に普及した時思わぬ副作用が見つかる事もないとは断言できない。農薬のみに頼る事なく出来る限り耕種的・物理的・生物的防除法等を積極的に導入した総合的な防除対策が重要である。

 

1-2、新規就農支援研修 山形県農林水産部農業経営・担い手支援課

近年の山形県新規就農者の情報について

 H30年山形県の新規就農者は334名新規参入就農者が160名Uターン就農が133名新規学卒就農者が51名でここ数年は年々増えている。営農部門の内訳は野菜101名、水稲73名、果樹71名、畜産62名、花き20名、その他17名と様々だ。

新規就農者増の理由は法人での受け入れ環境が整ってきているのが大きな要因のようだ。また農業人フェア等のイベントも国や県を挙げて実施してきたため、新規就農への理解とハードルが下がったことも要因とされる。

新規就農者の支援制度について

就農の準備段階に当たっては各種無料で受けられる研修制度の実施や、新規就農者へ年間150万円支援(準備型、経営開始型)、農業法人の雇用者へ年間120万円の支援、就農後の無利子の融資制度、他にもさまざまな側面的な支援制度がある。県や市町村毎に取り組みもやっているので詳細は直接訪ねるのがよい。ただし市町村による認定が必要だったり、就農後交付を受けた以上の期間は事業を引き続き実施したりする必要があるので、ある程度覚悟や地域とのつながりを持った上で支援を受ける必要がある。

 

1-3、農地制度について           山形県農林水産部農業経営・担い手支援課

日本の農地、農業制度の概要

大きく日本の農地についての制度は「農地法」と「農業振興地域制度」の2つに分かれる。農地法の規定にないものは民法に準ずる事とする。

 

農地法とは

 農地について、権利移動や転用の規制、利用関係の調整等の措置を講ずることにより、耕作者の地位の安定と農業生産の増大を図り、食料の安定供給の確保に資する。

→農地を効率的に利用する耕作者による、地域との調和に配慮した農地の権利取得を促進するとともに、農地の転用を規制する。

 

農業振興地域制度とは

 農業を振興すべき地域の指定と当該地域の農業的整備のための施策の計画的促進を図り、農業の健全な発展と国土資源の合理的利用に寄与する。

上記のような法的な事項に対しての紹介の説明でした。

 

~ここから学んできて思った事~

ここからは話を聞いてて私がふつふつと浮かんできたないようについて書いていきます。あくまで今ある情報から個人的な考察です。

 

農業を支えるテクノロジーと文化について

 農業分野で見てもテクノロジーの発展とこれまで築いてきた文化の衝突が起こってきた。その時自然や土地に寄り添っていきるか、人の欲望や世の中や社会動きに寄り添うか。そんなうねりの中で今の農業が出来上がっている。弥生時代の農業、平安時代の農業、昭和の農業、現代の農業を比較してみたとき、まったく違う事をしているだろう。もし理想の時代があるとすれば、どこに回帰するというのだろう。実際選択的に特定の作物を栽培すること自体自然との調和からすでに逸脱しているともいえる。しかしながら社会全体の流れとして豊かさを手放して自然回帰しようという事にはならず、いつも新しい事を始めようとする勢力の方が強い。新技術を開発して作る側が理想とする社会を目指して広めて壮大な社会実験がなされてように思える。発展には犠牲がつきものというのは、事前に明らかにされる事は少ないが仕掛ける側は理解しているはずだ。体制と反体制の対立、発展と文化の対立、そういった争いは人類史でいつも起こってきた事で、結局は人間ファーストで自分と自分の次の世代周りの人間の暮らす社会を守るという辺りが共通項で積み上げられていくのではないだろうか。

 

新規就農者支援について

全国で後継者を求めており支援制度等も手厚い、現状は農業をやりたい人にとってはチャンスであり、それに気づいている人は現在の新規就農者増の動きとして出ているのかもしれないと感じた所でした。支援を受けるかどうかはともかく、仕事に困ったら農家を目指そうとか、行くところなくなったらたどり着ける田舎が心の中にあるかどうかで都市生活での豊かさも変わってくるのではないかと感じる日々です。

 

農地改革の根幹にあった事

 現在中国でも行っているような安価な労働力を使った国力の増強(最近は終わりを迎えつつあるが)というのは日本の農村では戦前一般的に行われており、小作農と地主という関係性の農村がほとんどだった。土地に住まない不在地主も多く格差や権力の増大を招いた。戦争の背景とも分析されたそのような流れを解体すべく戦後GHQが中心となって制定したのが今の農地法の原型である。これにより日本の農業は自作農家が中心となっていった。共産主義の温床を除き自由民主義的な発想へと転換させる取り組みでもあった。ただしこれまで強権的な部分もありつつ組織的に行われていた里山の農地は分断され、人毎に出来不出来があったりや土地を売買する農家も現れた。

 

それからの日本の農業

 戦後食料難の時代に入ってきた欧米食の親しみから米を中心とした日本経済は根本から覆されていく、今現在を考えても米を作って景観を守ろうなどといっても米以外の食材もずらりと並ぶ。そんな食の欧米化の背景もあり徐々に米の需要も減り国が一律買っていた米は年々財政赤字を生む事となる。入植の禁止や生産調整を実施する事で、需要の少なくなった米生産を減らした。しかしながら既存の農家の怒りは大きくかったので、減反政策を中心とした補助金で沈めた。そんな背景の米の生産が減り、代わりに農村の基幹産業は衰退していったとこんなイメージでしょうか。基幹産業が衰退するという事は、食料基地としての農村は必要がなくなるという事で、それは歴史と社会全体が選択してことであり。現在の全国の地域で起こっている事の根幹にはそのような流れがあります。

 

2018年に施行された減反政策廃止から見える未来について

減反廃止の背景には元々減反政策は転作の補助金製作だとか、農家の自主的なやる気をそぐといった不満も背景にはあったとは思いますが、一番の要因は政府がTPPやFTAを締結する事により海外産の安い米が入ってきたとき、国が保護している米価格があるといけないので廃止しようという圧力があった事が一番大きな要因でしょうか。

つまり日本国内である程度一律に保護されていたより地域の農業というベース産業への保護を取り除くという事でしょう。それによってどうなるのか考えたとき、米と減反分の転作作物で何とか食いつないできた個人農家はどんどんいなくなって企業や地域の集合体が米や作物をインフラはなく資源の一つととらえ活動していく事になるのではないでしょうか。手が回らなくなったインフラから少しずつ失われていきます。

実際に国策でも農地の土地基盤整理と大規模化の事業を行ったりして、生き残る地域の取捨選択や淘汰を行っているように思われます。政策を見ていても国が全ての地域を一律の守れる程豊かではなくなっているという風に感じます。

昔からの農業を変わらずにやっている人は苦しいので縮小して、時流に合わせて変化していける人にはより拡大してそんな風に二極化していくのではないでしょうか。そのあとにあるのは国や地域というのがあいまいになって、地域を担う中心になるのは企業や地域に住む個人の集合体という形になっていくのではないでしょうか。

ただし食料を背景とした自律的な「国」としての集約的な力や機能はここに至るまで廃されてくるので、地域での生き方は各々が考えて行動しなければならないのかもしれません。しかし国防や外交についてはやはり国が代表するしかないので、常に注視していく必要があるのかなと思います。

 

つらつらと書いてはみたものの・・・

なんか書いてたら移住とはあまり関係なくなっちゃったし、文体も結構ブレちゃいました。調べながら書いていて個人的には今地域の農業で起こっている事についての考えは深まりました。あまり見る人に有益な記事じゃなかったかもしれませんが、ここまで読んでくれてありがとうございます。何かの糧になれば幸いです。

 

次回2日目の講義について書いてみますので良ければ続きも見てください!

 

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いつもの田舎の夕暮れ

 

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